小学校の時に軽度の発達障害があると診断されました。支援学級に行く様に強く勧められましたが、お母さんの強い希望で、普通学級に在籍しました。最初に当所に来られた時は、学校の勉強に全くついてなくなっており、算数も国語も理科も社会もオール1の状態でした。普通に喋るのですが、読解力も理解力もかなり低いので、学校の先生の授業を受けても、理解できないことがほとんどだった様です。
そんな状態から、ゆっくりですが、確実に理解できる様に説明をして行くと、少しずつ理解力も記憶力も向上していきました。そして、学校の成績も点が採れる様になっていきました。
中学校になってからも、普通授業につい行けています。
今後のこの調子でみんなについて行って欲しいと心より願っています。
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月別: 2018年7月
文章を模倣できる様になりました。ダウン症3年生
最初は、全く言葉の模倣もなかったのですが、言葉を発達させるトレーニングを続ける事により、言葉を模倣することができる様になっていました。単語を模倣できる様になり、発語も少し出てきたので、さらに少しレベルの高いトレーニングを続けるうちに、文章も模倣できる様になりました。
突然、文章を模倣する様になり、お母さんとともに大変感激しました。
今後の成長が楽しみです。
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トイレで排泄できる様になりました(発達障害2年生)
支援学校の2年生始めまで、排泄の自立ができませんでしたが、遊び感覚で全身運動をするうちに、おしっこが出た後知らせる様になり、トレーニング開始から約半年でおしっこがでる前に知らせる様になりました。
以前は、トイレに行くのを大変嫌がっていましたが、ようやくトイレで排泄することに慣れてきて、トイレで排泄出来る様になりました。
オムツを汚すことがほとんど無くなってきたので、学校の先生もお母さんも以前より楽になったそうです。
今後の成長が楽しみです。
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算数で70点採れました。LD小学5年生
幼児期は、普通児だと思っていました。小学校に入ってから、いくつかの学習塾に通わせながら、お母さんも毎日熱心に勉強を教えましたが、小学校3年生頃から、いくら教えても漢字が覚えられなかったり、国語の読み取りが全然できなかったり、算数は、計算は足し算、引き算、掛け算は、何とかできるのですが、割り算の計算の仕方を忘れたり、算数の文章題は、全く解らなくなってきました。読み取りが苦手なので、社会も、理科も、全般的に授業の内容がわからなくなって、テストは、一桁か酷いと0点をとるようになってしまいました。
お母さんがどんなに一生懸命教えても、普通の学習塾で教えてもらっても、全然わからなくなってきたので、療育センターで検査を受けると、学習障害があると言われました。
そんな時、当所を見つけていらっしゃいました。最初は、理解力がかなり低いので、幼稚園児か小学校1年生に教えるように教えて、ようやく少しずつ理解できる程度でした。
普段の生活では、話はできるので普通に見えるのですが、勉強内容に関しては、特に記憶に残りにくく、ようやく少し理解できたと思っても、1週間も間が開くとすっかり忘れてしまうので、1週間に2回のペースでレッスンを受けると、ようやく成績も上がってきました。算数も、ほとんど零点だったのが、レッスンを始めて2年後には、理解力も記憶力も随分と向上し、60点、70点採れるようになりました。
本人もとても嬉しそうで、少し自信がついてきたようです。今後とも普通児についていける事を心より願っています。
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学校のテストに少し答えられる様になりました。広汎性発達障害3年生
1年生の時に、ひらがなが覚えれなくて、教室から逃亡癖もあり、医師から広汎性発達障害と診断されました。1年生の時は、全く授業についていけなかったので、2年生になるときに、学校の先生から支援学級に行くように強く勧められましたが、お母さんが強く希望して2年生も普通学級に在籍することになりました。
2年生も前半は、全くできなかったのですが、基礎から本人が理解できるように説明していると、次第に理解力が向上してきました。2年生の終わりには、学校の総合テストで、算数も国語も90点以上採れるようになりました。お母さんは、「信じられない。」と、大喜びしました。
3年生もこの調子で、ついていける事を期待しています。
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余りのある割り算も解けるようになりました。発達障害3年生
幼児期に、医師から中度の発達障害と診断されました。最初の頃は、言葉の理解も低く、手先も不器用で癇癪持ちでした。4歳まで全く言葉が出ませんでしたが、言葉を発達させるためのトレーニングを続ける内に、言葉の理解が急速に発達しました。小学校に上がる頃には、言葉の理解は、普通児に追いついており、発語も出ており、少し辿々しいですが、出文章で喋るようになっていました。
小学校では、普通学級で授業を受けることを許可されて、普通児と同じように授業を受け、テストも受けて、平均点以上の成績を修めていました。3年生になっても普通児と同じように授業を受けてテストも受けています。算数でもみんなについていけており、余りのある割り算も、商を立て、あまりを暗算で計算しています。最初は、少し戸惑いましたが、練習するとすぐに早くできるようになりました。今後の成長が楽しみです。
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具体的に教えると理解できました。学習障害5年生
特に算数の理解に関して、いくつかの学習塾に通っても、お母さんがどんなに熱心に教えても、学校の授業についていけなくなっていたのですが、本児が理解できるところまで具体的に示して教えて行くと、学年相応の算数も、少しずつ理解できるようになってきました。子供さん自信が嬉しそうです。
今後の成長が楽しみです。
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片手を引くと歩けるようになりました。遺伝子障害1年生
3歳、4歳頃には、医師から、自立歩行は無理なようなので、機械に乗せて機械を使うように勧められていましたが、お母さんは、本児が自立歩行できるようになる可能性を信じて、機械を買わずにトレーニングを続けました。
最初の頃は、歩かせようとしても、本児が頑なに両足を縮めていました。しかし、それでも諦めずに辛抱強くトレーニングを続けていると、一人でつかまり立ちをするようになり、少しずつ脚を伸ばすようになってきました。
そのうちに、歩行器を使って歩けるようになりました。歩行器で歩けるようになると、病院で、医師や看護師が皆大感激して褒めてくれるので、みんなの見ている前で、歩行器を使って歩くのが得意になりました。
その後数ヶ月経つと、脚力が益々ついてきて、片手を引くだけで歩けるようになりました。本児も、片手を引いてもらいながら歩けるのが、とても嬉しそうです。自分から、手を引いてもらうように手を差し出してきます。
お母さんと共に、とても嬉しく見守っています。
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