幼児期は、ペラペラ喋れるので、検査を受ける事も無く、普通だと思われていました。小学校に入ってから、教室に45分間座って授業を受ける事が出来ず、毎日、途中で教室を逃亡し、トイレに入ったまま、給食の時間まで出て来ないような事がしょっちゅうありました。
小学1年生の勉強にもま全く付いて行けず、1学期を終わっても、ひらがなも読めず、勿論書けず、学校の先生から、特殊学級に入る様に勧められました。
2学期になってから、専門医院で発達検査を受けたところ、知性も低広汎性発達障害と診断されました。
その頃、当所のトレーニングを受けるようになりましたが、最初は、勉強を嫌がったり、部屋から出ていこうとしたり、なかなか大変でした。
1年生の終わりでも、まだまだ健常児との差は大きく、情緒もかなり不安定であるし、知性も、健常児とはかけ離れて低く、とても追いつけそうに無い状態でした。従って、複数の学校の先生からも、「本人の為にも、是非とも支援学級に行った方が良いです。」と、大変強く言われました。
しかし、私が見たところ、少しずつ知性が向上しているのが解っていたので、お母さんにそのように助言しました。すると、お母さんは、2年生も普通児クラスに入れて頂ける様に、先生に一生懸命お願いしました。
そのようにして、何とか2年生も普通児クラスに入れて頂いて、学校の授業を先取りして教えていく内に、少しずつ、知性が向上してきました。2年生の3学期には、学校の総合テストで算数100点国語90点採れる程になりました。
この頃には、情緒も、すっかり安定しており、授業中に逃亡する事は、無くなっていました。
お母さんは、もの凄く歓んで、私に見せてくれると共に、最初に広汎性発達障害であると診断した医師に、そのテストを見せに行きました。すると、その医師は、「この子は、元々広汎性発達障害では無かった。」と、自分の診断を自分で否定しました。
障害児の専門家として、広汎性発達障害が健常児に追いつくという事は、有り得ないのです。
「発達障害が、健常児に追いつくという事は、有り得ない。」
これが、医師と障害児教育に携わる教育者とか、障害児の専門家の常識です。
しかし、本児の実例は、優れた教育を行えば、これまでの常識を超える事も有りうる事を示しています。
脳力開発研究所